安楽寿院の略縁起

 今では想像もできませんが、900年ほど前の平安時代、平安京の南の鳥羽は南には池が広がり、水鳥が群れる風光明媚な地でした。この池の畔に離宮が造られ、技術の粋を尽くした御殿が建ち並びその美を競っていといいます。当時栄華を誇った貴族たちは連日のようにこの地を訪れ、舟遊びや歌合わせなどに興じ、華やかな貴族文化の舞台になっていました。この鳥羽離宮の東殿に保延3年(1137)御堂が建てられました。これが安楽寿院です。安楽寿院はその名前のとおり、浄土教に基づき極楽浄土を希求するため阿弥陀三尊を本尊さまとしました。その後、本御塔、九躰阿弥陀堂、閻魔堂、不動堂、新御塔が次々落慶し一応の完成を見ました。当時の寺領は膨大なもので今の茨城県から九州の間に散在し、最盛期には32国63ヶ荘に及んでいました。
 その後、南北朝争乱に巻き込まれ寺領の多くを失ったため、徐々に寺の規模を縮小しながらも維持されてきました。桃山時代になり豊臣秀吉より近辺の五百石分の寺領はあらためて保証する旨の朱印状を頂戴し、続く江戸時代も徳川歴代将軍より寺領を安堵され運営されてきました。江戸期には十二院五坊の塔頭を要する学山として多くの学匠を輩出しています。


安楽寿院のご案内

現在の安楽寿院は凡そ下図のようなものです。ご案内しますのでお好きな所をクリックして下さい。


石造五輪塔 三如来石仏 三宝荒神社 大師堂 阿弥陀堂 鐘楼・梵鐘 書院・庫裏


書院・庫裏

 寛政7年(1795)の建立。書院と庫裏は同じ建物ですが内部で便宜上分けられています。この建物は元々「前松院」という塔頭寺院であったものです。


鐘楼・梵鐘

 鐘楼は慶長11年(1606)に豊臣秀頼公により当院が大修復されたときに建立された建物ですが、現在は柱、梁に当時の材を残すのみ。梵鐘は元禄5年(1692)に鋳造されたもので、当院では除夜の鐘の時のみつきます。


阿弥陀堂

 阿弥陀堂は台風の被害がもとで倒壊した堂(本御塔の後身)の代わりに本尊さまをお祀りするために昭和34年建立されました。当院の本尊重要文化財指定阿弥陀如来像をお祀りしています。本尊さまをお参りされますか。
本尊阿弥陀さまにお参りする


大師堂

 慶長元年(1596)、山城、伏見に大地震が起き、新御塔が倒壊しました。そのとき一時しのぎに集められるだけの材料で、とりあえず仏様をお祀りできるように建てたお堂がこの大師堂です。新御塔の方は慶長11年豊臣秀頼公によって復興されましたが、お堂のほうは勤行堂として以後も使用され、その後現在地へ移築され、その時から大師堂として弘法大師像を本尊としてお祀りしています。その他に大日如来、薬師如来、聖観音、十一面観音、千手観音、地蔵菩薩、不動明王、歓喜天など旧塔頭の仏様がここにお祀りされています。


三宝荒神社

 当院は保延3年(1137)の落慶以来、何度も火災にあってきました。特に天文17年(1548)の火災では伽藍の大部分を失ったようです。慶長11年の復興のとき、もう火災に遭わないようにと、荒神様が勧請されました。以後の400年間は一度も火災にあっていません。三宝荒神の霊験と感謝しています。火難消除の神様として信仰されています。


三如来石仏

 平安時代の作で釈迦、弥陀、薬師三尊の3面が江戸時代に出土したと伝えられています。内の弥陀三尊像は京都国立博物館に預けています。凝灰岩でできており、昔はこの石仏のお体を削って水で練り、子供の顔に塗るとくさが直るという信仰があったため、傷んでいます。


石造五輪塔

 鎌倉時代の弘安10年(1287)の年号が刻まれています。3メートルもある堂々としたもので、鎌倉時代の典型的な優れた形の五輪塔で重要文化財に指定されています。微かに読める字から、阿弥陀信仰によって建立されたと推定されています。


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