笠置の山峡が急にひらけて、木津川の流れもゆるやかになったあたり、甕に似た地形によって、瓶原(みかのはら)と呼ばれたというこの地は「みかの原わきて流るる泉川、いつみきとてか恋いしかるらむ」との小倉百人一首に収められた兼輔の歌で、広く人々に知られております。
瓶原を一望におさめる海住山の中腹、幽邃の地に、当海住山寺が創建されたのは、恭仁京造営にさきだつ6年前、天平七年(735)のことと伝えられております。大盧舎那仏像造立を発願あそばれた聖武天皇が、その工事の平安を祈るため、良弁僧正に勅して一宇を建てさせ、十一面観世音菩薩を安置して、藤尾山観音寺と名づけたのに始まるということです。しかし、この寺は、不幸にして保延三年(1137)に灰燼の厄に遭い、寺観のことごとくを失ったのであります。
その後、七十余年を経た承元二年(1208)11月、笠置寺におられた解脱上人貞慶が、思うところあってこの観音寺廃址に移り住み、草庵をいとなんで補陀洛山海住山寺と名づけ、旧寺を中興されて、ここに現在の寺基がさだめられたのでありました。補陀洛山とは、南海にあるといわれる観音の浄土の名であります。
(上の写真は国宝の五重塔)
のち、寺門は大いに栄えて塔頭五十八カ坊をかぞえ、中でも、東大寺の宗性上人が住持した十輪院などは、文献的にも著名なものでありましたが、天正年中、秀吉の検地によって経済的な痛手をうけ、ついに現本堂を中心に整備統一されることになりました。山門をくぐって開ける平地は、往時のさかんな坊跡を思わせ、歴史の興亡を回顧させます。
現在の当山は、真言宗智山派に属し、一万坪の境内には、国宝の五重塔や重要文化財に指定された文殊堂をはじめ、山門、本堂、本坊、鐘楼、奥の院、薬師堂、納骨堂、春日大明神、その他の伽藍が、八葉の峰につつまれて真言の秘法を象徴し、山には古の信仰をしのばせるかずかずの石仏や、千年に垂んとする大木が天を摩して、おのずから人の心を清めて静寂の境にみちびいてくれます。又特に厄除寺として知られ、現世利益の根本道場でもあります。
(写真は重要文化財指定の文殊堂)
四季それぞれ情趣に富み、春まだき頃には谷間をわたるうぐいすが早春賦をかなで、四月の桜(満開、十日頃)の季節をすぎると、やがて五月には紅白のさつきが毛氈をしきつめたように咲きみだれて、ときおり啼くほととぎすの声は俳人・歌人の足をとどめさせます。峰をわたる青嵐はすがすがしく、ちょっとした避暑地となります。秋には谷々の紅葉が錦をかざり、行楽の季節を楽しませてくれます。
(以上の文は「海住山寺小誌」より、抜粋させていただきました。)
(写真は本堂の前、奥に五重塔)
海住山寺のシンボルとも言える国宝の五重塔は、小ぶりながら端正な形に、精巧な木組み、まるで精密な模型のようなイメージを受けます。構造的には心柱が初層で止めらている、珍しい造りになっているそうです。その五重塔と向かい合うように、重要文化財指定の文殊堂があり、やはり鎌倉時代の建立で、寄せ棟の繊細な形をしています。
当寺は厄除信仰で有名で、毎年、2月3月の午の日は、特に参拝者で賑わいます。普段でも申し込めば、ご祈祷していただけます。また最近は交通安全のご祈祷も多くなってきています。
申し出ていただければ、本堂内陣、重要文化財の御本尊十一面観音像を拝んでいただけますが、特に秋の「海住山寺特別展」の時期は、普段は奈良の国立博物館等に管理していただいている什物も帰ってこられ、一堂に拝観できます。
(写真は、重要文化財指定の本堂本尊十一面観音像)