真言宗智山派神童寺

京都府相楽郡山城町神童子
TEL 077486−2161

 当山は、聖徳太子が始めて開き、自ら千手観音の像を彫刻して本尊とし大観世音教寺と号した所で、のち役の行者が来て、除災招福のために自ら蔵王権現の像を彫刻して本尊とし、北吉野山神童寺と呼ぶことになりました。
 白鳳四年、役の行者が当山に登り行法していると、突然童子があらわれて「汝の傍らに石楠花の樹あり、誠に霊木なり。これにて仏像を刻み衆生を済度せよ。吾らは子守、勝手、金精(こんせい)、佐抛(さなげ)、の四神、常にこの樹を守護す。」と言い終って空に飛び去りました。行者は奇異に思い「三世十方の諸仏願はくは諸の悪魔を降伏して衆生に福を与へ給へ。」と祈ること三七日、満願の暁大地振動して地中から光明を放ち、憤怒の形を具えた蔵王権現が現われ、悪魔降伏、除災招福の相を示現し、虚空遥かにかくれました。役の行者は歓喜の涙に咽び、大慈悲の仏恩に報謝し、すぐ石楠花の木を以て蔵王権現の像を彫刻し始めると、南方から神童が二人現れこれを助けたので像は忽ちなりました。神童は「吾等は天八百日尊(あめのやおひのみこと)、天三下尊(あめのみさがりのみこと)なり、永く伽藍を擁護せん。」と云って去ってしまいました。役の行者は、そこで別に蔵王堂を建てて権現像を安置し、天八百日尊、天三下尊(当村社の祭神)、子守、勝手、金精、佐抛(当村社末社祭神)の六神を勧請して伽藍の守護神とし、また、永く神徳を顕すため、ここに寺号を改めて神童寺と称することになりました。
 次に、役の行者は自らの像を彫刻して、開山堂に置きました。養老六年(722)泰澄大師が当山に登り、鷲峯山を北山上、当山を北吉野山と名づけました。(この文は神童寺発行の「神童寺縁起」より写させていただきました。)
(上の写真は応永13年(1406)建立の重要文化財に指定されている本堂)

 神童寺はJR奈良線棚倉駅より、山の方へ徒歩で約30分入ったところにあります。梅雨の晴れ間の7月の初旬に取材に伺いましたが、山ではウグイスが鳴き、境内は紫陽花が満開でした。寄せ棟のどっしりした本堂には、ダイナミックなお姿の本尊蔵王権現様がお祀りされており、いかにも災いを除いていただけそうな恐いお顔をされています。緑豊かな境内には、行者の滝、鐘楼などがあり、一番上に藤原時代の多くの優れた仏様(ほとんどが重要文化財指定)を納めた収蔵庫があり、この寺が、昔は相当の勢力であったことを示しています。
 毎年9月15日には柴燈護摩が修されます。多くの信者さんがお参りされ、護摩の後は、火渡りや、ガン封じのお加持がおこなわれます。
(下の写真はダイナミックなお姿の本尊蔵王権現)



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