おばあさんの話。
「お願いだから、殺さないでよー!」
これはわたしの知っているおばあさんが病院で叫んだ言葉です。
このおばあさんは、いつ死ぬかわからない病気をしているわけではありません。ただ以前から悪くした足を手術して病院に入院しているだけなのです。でも、おばあさんにとって全く違った環境に自分が放りこまれたことによって、精神的な不安が高じ、上のような言葉がでたのかと思います。
心の不安 ぼけとせん妄。
おばあさんは、別にひとりぼっちではありません。連れ合いも元気に働いているし、子どもも孫もお見舞いに来ます。また、ベッドにずっと寝たきりの状態でもなく、しばらく養生すれば元気に歩けるようになるのです。しかし、おばあさんにとって、病院に入院するということ、足の手術をするということ、人が想像する以上に大変な出来事であったようです。
おばあさんは、病院に入院してから、いろいろな幻覚を見るようになり、とんちんかんな事を言うようになりました。自分が誰かに殺されるとか、自分のことを病室のおもてでうわさしているとか。
はじめ家族の人は、おばあさんにぼけが始まったのかと考えました。しかし、いろいろ聞いてみると、それはぼけではなく、せん妄という意識障害だそうです。
せん妄とは、心身のストレスから意識が混乱して自分のいる場所や時間の感覚がなくなる見当識障害などを起こし、言動がおかしくなる症状です。
心の安心
人は年をとるに従って、体力、気力がだんだんと衰えてきます。衰えるに連れて、回りの環境に順応しずらくなってきます。
老人のせん妄は、このような状況の中で起こってくる心の病なのかもしれません。
わたしたちは、いずれ年を取り、しだいしだいに社会から取り残されていく身となります。これはどんな人であっても例外ではありません。
現在、高齢化社会の中では、如何により良く生きるか、と同時に如何により良く死んでいけるかが、大きな問題となってきています。そして、如何により良く死んでいけるか、という問題は、まさに心の安心、心に信心を持つことと重なってくるのではないでしょうか。
往生への決意
平安時代から鎌倉時代の初め、たいそう末法思想が流行したそうです。その頃の時代といえば、貴族社会から武家社会への移り変わりで、世の中が混乱した頃でありますから、世の終わりだと思うのも無理からぬことです。そのように混乱した時代だからこそ、極楽浄土へ往生しようと願う人々もたくさんいたそうです。
当時の人々は、いつ死ぬか分からぬ身であるが故に、いつ死んでもいいように仏にすがり、一生懸命、本尊の真言やお念仏をおとなえしました。
真言宗中興の祖と言われる興教大師覚鑁上人は、その頃に活躍した人です。興教大
師の著作「一期大要秘密集」の中に
「もし病いに犯され、気力が日々衰え、死が自分の命をのみこもうとして、そこから離れることができないと知ったならば、つまらぬ雑事を考えず、ひたすら仏を念ずることです。」
というような言葉を遺されています。
平安時代末期と現代とでは、ずいぶん時間が離れていますが、その言葉が持つ重みは変わらないのではないでしょうか。わたしたちは、より良く生きようとばかり考えて、年をとり、死を目前にしたときのための心構えというものを考えてきませんでした。
年を取りいつ死んでも良いように、わたしたちが心の中にしっかりとした信心を持つならば、心の中の死の不安が取り除かれると同時に生きていることの充実感が増すのではないでしょうか。それこそ、真の安心が根付いたことにほかならないのです。