響き合う心と心

インド旅行での出来事
 私ごとで恐縮ですが、かつて学生の頃、インドへ貧乏旅行をしたことがありました。
 なにせあまり所持金もありませんから、泊まるホテルも4流ホテル。列車に乗るのも3等車。おまけに一人でチケットをとらなければなりません。英語もろくにしゃべれませんから、自分の言いたいことを伝えるのも一苦労でした。
 さて、一人旅もいよいよ終わりに近づき、最後の目的地であるカルカッタの安ホテルに泊まっていたときのことです。わたしがホテルのロビーでくつろいでいたところ、別の部屋に泊まっている、えらく美人の外人女性が、シャワーを浴びてすぐ出たのでしょうか、バスタオル一枚身体に巻いて、ロビーを通り抜けていったのでした。その姿を見ていたわたしと、そのホテルで働いているインド人は思わず顔を見合わせ、ニタッと笑い合ってしまいました。
 英語ではまともに会話できないのに、こんなことでお互いの意志が通じ合うものだと変に感心してしまいました。

いじめられる心
 最近、子供のいじめ事件が大きく報道されています。このいじめというのは、何も子供にかぎったことでなく、会社においても大人どうしのいじめというものがあるようです。
 『現代』(平成9年1月号)という雑誌に、「サラリーマンいじめ白書」という記事で、いじめにあった0Lの話が掲載されていました。
 このOL、かりにSさんとしておきますが、「わたしは、きっといじめられる素質があるんです」と語っているように、小学校から短大に至るまで、ましては会社に入ってからも同僚から、ずっといじめにあっていたそうです。
 さて、そんなSさんの人生を大きくかえたできごとがありました。
 「あるとき、聴覚障害者のテレビドラマがあったんです。そのとき出てきた手話が何となく気になって。本を買って読んだら、なぜか心が落ち着くんです。」
 彼女はさっそく手話のサークルに入り、そこでほんの小さな輪ですが、手話を通して、自分の気持ちを出せる場を持つことができたのでした。
 ここまでは、よくある話でありますが、Sさんにとって、「いじめられる性格」から抜け出ることができたのは、サークルの仲間から、次のようなことを言われたのがきっかけでした。
 「Sさん、あなたは手話って、手だけで表現するものだと思っていない?私は違うと思うな。ありがとうなら『ありがとう』、ごめんなさいなら『ごめんなさい』と心の中で意識しないと相手には通じないと思うの。Sさんのありがとうは『ごめんなさい』に聞こえるわ。」
 そして、その忠告の意味に気がついたSさんは手話についてこう話します。
 「手話はね、相手が『さようなら』って表現すると、その向こうの『残念だね。また会おうね』という気持ちまで聞こえてくるんですよ」
 それからSさんは普通に話していても言葉に表情と気持ちが伝わるようになり、会社の同僚からのいじめもまったくなくなっていったそうです。

五大に響きあり
 さて、わたしたちは、普段何気なく言葉をしゃべっていますが、それは言葉一つ一つの意味を確認しながら理解しているわけではありません。例えば、「あれ取って」「そこにあったのじゃないの」と、「あれ」とか「それ」とか言って、またそれを聞いた相手も、やはり「あれ」とか「それ」で何となく理解して、納得してしまうことは以外と多くあるはずです。
 つまり、わたしたちは、言葉で何かを表現する際に、ただぶっきらぼうに言葉をしゃべっているだけではなく、自分が伝えたい気持ちもいっしょに相手へ訴えかけているのではないでしょうか。
 ニヤニヤし合ったインド人とわたしとの間には、言葉がわからなくても、その気持ちがお互い通じ合えたし、いじめにあってきたOLも、自分の思っている気持ちを素直に表現することで、仲間と心を通じ合わせることができたのでしょう。
 弘法大師は『声字実相義』という著作の中で、次のお言葉を残されています。

    「五大に響きあり、十界に言葉を具す
           六塵ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり」

 五大とは、わたしたちの世界を構成する要素、つまり地水火風空。言い換えれば、世界そのものを五大という言葉で表現しているのです。十界という言葉は、地獄の世界から仏の世界を合わせた世界を表します。すなわち、「わたしたちの住む世界のみならず、あらゆる世界はほとけの言葉で成り立ち、それぞれが響き合っている」という意味です。
 この世界はすべて仏さまの言葉であるとするならば、わたしたち自身も仏さまの言葉にほかならないということです。さらに考えれば、わたし自身だけでなく、あらゆる人も動物も鉱物もすべて仏さまの言葉によって成り立っていることにほかなりません。そして、その世界はすべて響き合っているならば、わたしたちはいつでも仏さまと共にあり、また、世界のあらゆる人たちとも心が響き合っていることになります。
 響き合う心と心。それを素直に感じられたとき、言葉を離れたほとけの世界を知る第一歩なのかもしれません。

(金本 拓士記)


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