第2回
前回は、即身成仏が密教最大の特徴であるという事までお話ししましたが、今回は、この即身成仏に入る前段階として、成仏とは何かをお話ししましょう。
(1)成仏とは? 仏とは?
仏教における究極の目的である成仏とは、字の如く「仏に成る」ということです。「ほとけ」と聞くと一般には、お釈迦様をはじめとする多くの仏像を思い描きますが、本来は、buddha(ブッダ)という梵語の音写で「仏陀」と著し、その意味は「覚者(悟れる者)」すなわち真理に目覚めた者を指します。
ですから、容姿に関係なく、真理に目覚め、迷いの眠りから目覚めることができれば、誰でも成仏できるはずです。
(2)仏教の真理とは?
では、仏教の説く真理とは何か?
「それは大きな問題であり、軽く論ずるものではない。」との、ご批判が聞こえてきそうですが、あえて、私なりの考えを言いますと、それは「我(自己)のとらわれからの解放」「平等の精神」であります。
私達は、万物の真実の姿を、正確にとらえているでしょうか?
私達は常に、「私にとって」を基準に物事を認識し、行動しています。
私達にとっての最大最高のものさしは「自己の価値判断」です。
誰もが親になると、自分の子供に「パパ ママ」「名前」を教えます。子供は周りの人が誰かを区別し、やがて「自分の物と他人の物」を区別します。そしてそれを「自我の形成」として喜びます。
しかし、この「自我」なるものが、すべての悩み苦しみの根本でもあるのです。
日常生活において養われ、必要とされる知恵は「分別の知恵」「分かる知恵」です。AとBとを分ける。善と悪とを分ける。必要か不必要かを分ける 等々。
「物事が分かる」ことは「物事を分ける」ことであり、分けた結果、ややもすると、大事な自分を中心に据えて、「自分の物は大切だ」でも「他人の物も欲しい」。物欲をはじめとする様々な欲望に支配されてしまいます。
これに対し、真理と呼べる智慧は、「無分別の智慧」です。
「自分にとってどうなのか」などという、独りよがりな小さな知恵を捨てて、「私も他人も、仏も人も、みんな同じ」「みんな仲間」と考えて、相手を思いやる。これが慈悲の心、悟りの智慧です。
ある人が言いました。「悟りとは、差取りである。」と。
自分と他人。人と仏。その間にある「差を取る」事ができたなら、「平等」に基づく「悟りの智慧」が手に入る。
そんな平等の心で毎日が送れたら、貴方は「仏」なのかも知れません。
話が脱線しましたが、本題については、また次回。